世の中には多くの流れとゆうものが存在する。
スポーツならば動きの中に。
芸術ならば筆のタッチ、旋律の中に。
株ならば相場の動き。
麻雀ならば運の流れ、牌の流れ。
仕事にも遊びにも普段だらけているときも、
どんなものにも流れが存在する。
その流れに乗ったり、自在に操作したりすることで勝者になることができる。



大きな流れは止めることはできない。
止めようとすると大きな反発力を受ける。
では、どうしたらいいのか。
流れを別方向にそらす。
これが最良の方法だろう。
古武術やその他の格闘技の技にもある、受け流し、とゆうものがその代表例である。



流れを自在に操るとは、自分に取って悪い流れを受け流したりそらしたりすること、
自分に取って良い流れに乗ることである。
そのためには流れの分岐点を見極めなければならない。
しかし、そんな簡単に見極められるものではない。
一定以上のレベルが必要である。
さらにレベルアップすることにより、より多くの分岐点が見える。



まぁ、つまりは何事も努力しないと成功しないってことだな。
それに誰にも止めることも受け流すこともできない流れもある。
それは「時」の流れ。
この世のすべては時間とゆう大きな流れの中にいる。
もしその時の流れを操ることができたなら・・・
一般に言う神とゆう存在になるのかもしれない。
しかし、同時に人とゆう概念から・・・いや、この世界とゆう概念から逸脱することになる。
幸せ、不幸、そのような言葉も無意味になる。
何もない空虚な世界。
それは死とほぼ同義である。



それならば、人は・・・いや、少なくとも私は、大きな流れの中でもがこうとも、人間を続けていきたい。